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夢の始まり1.png


じっと、天井の明かりを見る。
僕にとって、始まりに見るものであり、終わりに見るものだ。
無機質な実験室の明かりは、無言で僕を照らしている。
微かな電子音をたてるよくわからない機械。手足の代わりに繋がったコードたち。汚れのないシーツ。無機質な明かり。そして、何もない天井。それが僕の世界の全てだ。
周りの大人たちは難しい言葉や、数字ばかり喋っている。
暇をもてあまして、機械に灯るランプの数なんか数えていると、やがて始まりが告げられる。
僕はそれに合わせて、目を閉じる。
「第7回、夢界接続実験を開始します」
「被験体のバイタル、正常」
「接続端子、活性化5秒前」
「4」
「3」
「2」
「1…」
そうして僕は、何度目かの夢へ落ちていった。

 

この世界には何もない。
広大な大地が広がっているかと思えば周りは海に囲まれていて、どこか別の場所に行くこともできない。
夢の世界は生み出した人間の心理状況によって姿を変えるそうだ。
被験体として施設の外にも出られず、ずっと同じ場所で過ごしていれば、そりゃあこんな世界にもなるだろう。
いつも通り、持たされた映像記録機器に景色を映しながら島を歩き回る。
風になびく草、ちぎれては消えていく雲、静かに光をたたえた太陽…
何の変化もない景色に飽き、思わずあくびをする。
虫一匹いない大地の、なんてつまらない事だろう。
自由に手足を動かせる喜びも最初のころだけだった。
きっとこの場所は今までもこれからも、姿かたちを変えることはないのだろうとすら思う。
そんな物思いに耽る事しかできないような空間だ。
ふと、視界の端で白い何かが動くのを見た。
記録機器を構え、何かが動いていたほうを向くと白い蝶がぱたぱたと飛んでいた。
この世界でやっと見つけた動くものに、思わず体が動く。
蝶はきまぐれに、けれど決して遅くはない速度で飛んでいく。
「ま…待って!」
僕は滅多に走ることはない。足がもつれて、転びそうになるから。というか、転んだことがあるから。
それでも自然と体は動き、蝶を追って駆ける。
蝶はその体から淡い光を放ち、輪郭だけがはっきりと見える。
追っていると、どこから集まってきたのか、蝶は数を2匹3匹と数を増やし、あっという間に白い塊となり、それは徐々に人の形へと姿を変えてゆき…一人の人間になった。


目の前の状況を飲み込めず、立ち尽くす自分にその人間は笑いかけた。
「やあ、はじめまして。」

 

薄水色の髪に淡い虹色の瞳。
彼は穏やかな笑みを浮かべ、こちらに言葉をかけてきた。
予期せずかけられた言葉に、戸惑いながらもなんとか返事をする。
「は…はじめまして…」
「僕は虹輝。君は?」

 

虹輝、と名乗った青年は周りを舞う蝶と共にくるりとひと回りした。
どうしてここに?この世界には生き物一匹いなかったのに。それに、蝶が人の姿になるなんて。
そんな疑問を思いながら言葉を詰まらせていると、彼は思いがけない言葉を口にした。
「僕は夢魔だ。」
「む、ま…?」

 

むま。なんだろう。む、ま。
聞き覚えのないその言葉を、頭の中で反芻する。
ま、…魔?なにか悪いものなのだろうか。悪魔のような、恐ろしいものなのだろうか。

 

「…僕を、食べるの…?」
故に、出たのはこんな言葉であった。
虹輝は一瞬目を丸くし、直後笑いだした。
「あはは!君面白いね〜!食べたりなんかしないよお、僕は友好的な夢魔だからね、人々の夢を渡り歩いてるんだ」
愉快そうに笑う虹輝の顔を見て、僕はそうなんだ…とほっとした様子で呟いた。

 

「うん。それでここの夢…あまりにも何も無さ過ぎて逆に気になっちゃってさ!ここって…君の夢だよね?」
「…うん。」
あんまりにもストレートに言われてしまった。まあ、確かにそうなので肯定する。
「そのカメラは?向こうから持ち込んだ物だよね、それ。」
「うん、そうだよ。」

 

きらりと太陽の光を、レンズが反射する。知らない会社のシルバーのロゴが、鏡面のように僕の目を映す。
「向こうの物を夢に持ち込んだり、逆に夢の物を向こうに持ち出すなんて事不可能に近いんだけど…どうやら僕が思ってるより君たち人間は夢の扱いがうまくなったみたいだ。」
カメラをしげしげと見ながら、一人感心する虹輝。
「これで記録して…向こうに持ち帰って、見せるんだ。」
「なるほど…さすがに通信はできないだろうしね。それと…君のその管。」

 

僕の腕や足に繋がっている管を指差す虹輝。
「ああ、えーっとこれは…時間になったら向こうの人たちが僕を起こすんだ。これで薬を体に入れて…うん、確かそんな感じだったと思う。」
「…さっきから思ってたんだけど、「向こうの人たち」って…こんな事を君にさせて、何か目的があるのかい?」
不思議そうな顔をする虹輝に、僕は事のいきさつを話すことにした。
僕がこんな何もない島にいる理由。

 

 


人類は未だ寿命を克服できていなかった。
僕のいる機関は、「人類が永遠の命を得る事」を目的に様々な実験を行っていた。
その中の一つ、「エデンプロジェクト」。夢という意識の世界に「体ごと」転移し、寿命のない意識の存在となるというもの。
僕は、このエデンプロジェクトにおける核だ。夢と現実を繋ぎ、夢の世界に人々を移動させることができる。
それも、実体そのものをまるごと。夢へ移った人間は、現実世界からは消失し、いたという事実がなくなり、それに合わせて現実も改変される…らしい。あくまでも、実例がないから、「らしい」。
現実を強く拒絶した時、病や怪我で生死の淵を彷徨う事になった時…他にも様々な要因があって、人は夢と現実の狭間に足を踏み入れる事がある。
そういった状況に陥っている人間を、僕は夢へ移す事ができる。
機関の言うことによれば、その時が来たらプロジェクトの希望者を薬剤で仮死状態にして、僕が夢へ移せるようにするらしい。
僕自身は、この実験を行っている機関で生まれ育った。
人の手によって生み出された「夢と現を繋ぐ者」なんだそうだ。
手足を切り落とされ、よくわからない管をたくさん付けられて。
機関の外を知らず、友人ももたず、ただそれだけのために、どんな苦痛も耐えてきた。
それが僕に与えられた使命であり、生まれた意味だからだ。

「…ふうん。それはまあ、随分とむごい事をするねえ、人間も。まあ昔からそうだったけど…」
僕の話を聞いた虹輝はひとりごちていた。
「それで…人々を移すための夢…まあ、僕の夢なんだけど…見ての通り、何度訪れても何にもなくてさ。」

 

記録機器を使って夢の様子を写しては持ち帰って職員に確認してもらってるけど、まあ当然、写るのはどこまでも続く草原や海原だけで…
困ったような笑顔を浮かべていると、虹輝は思いがけない言葉を口にした。
「夢っていうのはね、写し鏡だ。君の記憶や体験が様々な形になって現れる。普通干渉はできない。明晰夢なんて呼ばれる夢もあるけど、あれもただ夢を見ている人間の認識が変わって、鏡に写る像が歪んでるだけに過ぎないんだ。」
「夢を自在に操る事ができる人間なんていないのさ」

 

「まあ、夢を見ている本人が「体ごと」夢に入るなら別だけれどね。」

「え。」
 

それはつまり、僕が。
 

「体ごと、って…」

「そう。この夢の主である君が体ごと夢に入ってしまえば「権限」が発生する。」
「それはこの世界にありとあらゆる変化を起こすことができる力だ。」
「続く山々も、広大な花畑も、迷うような森だって。何だって作り出せる。」
「そして、君にはそれができる…いや、違うな。そうする「選択」ができる。」

「………。」

「まあ、あくまで「選択」だ。君がそうしたいならできるし、そうしたくないならそれもできる。そういう話さ。」

 

僕は、当然困惑した。
僕が体ごとこの夢に入ってしまうという事は、僕を作り出した人々がエデンプロジェクトの核である僕を失い、永遠の命も、綿密な計画も、努力し作り出した技術も、皆が僕に託した希望も、何もかもが、ぱあになる、ということだ。
彼らを見捨てる事になる。人類の希望を棒に振ることになる。なんということだろう。罪深いことだ!こんな悲劇があっていいはずがない!僕は裏切り者になる!

 

ああ、でも………

ふと胸の奥で燃えていた、微かな欲望の火が火花をたてた。
 

笑顔のまま、どこか遠くを見ている虹輝に尋ねる。
「…僕がもし、体ごとこの夢に入って…それでも僕の「人を夢に移す」力は…使えるの?」
「ん?ああ、君のそれは実に特殊な力だ。たとえ夢に入って新たな権限が発生しても、その力は残るだろうね。」
その言葉を聞いた時の僕の顔はどんなに醜く歪んでいたのだろうか。

 

 


思い出す。
彼の事を。
「生命の実プロジェクト」。
「完全な不死身の肉体を持つ人間」を造り出し、その細胞を利用し不死になる研究をするというもの。
僕を核とした「エデンプロジェクト」と並行して行われていたそれは、見事に結実した。
不死の肉体を持つ人間が、生まれたのだ。
施設内の放送で、僕は彼の姿を見た。
白い髪に、白磁のような肌。
彼の目は無邪気に輝いているように見えた。
「この度、我々はとうとう不死の肉体を持つヒトを造り上げる事に成功しました!」
「彼の身体は我々人間を新世界へ導く事でしょう!」
「今、新たな人類の歴史をここから──白紙から始めるのです!」
なんてことだ、と僕は思った。
彼は何も知らない。まだ何も知らないのだ。希望の名の下に行われる非道を、人類という巨大な存在のために食い潰される事を、知らないのだ。
僕と同じか、それ以上の苦痛を彼は味わうのだろうか?
山ほど薬を飲み、何度も肌に針を刺し、体中にメスを走らされるのだろうか?

嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ!そんな事…
彼が、いったい、何をしたというんだ。
彼を救いたい。
彼を、苦痛のないどこか平和な場所へ…
どこか…
ここではない、どこかへ…

僕の身を焦がすようなその欲望は、一気に燃え上がった。

 

「僕は、僕を生んだ世界を捨てる」
 

僕は記録機器から手を離した。
記録機器が草の上に転がる。

 

「僕は使命を放棄する」
手足に繋がったコードを引き抜き、地面に落とす。

 

「僕は───」
身体を光が包む。病院着が、白と黒、それから桃色の衣服へと変わる。

 

「「あの子」を救いたい」
その瞬間、足元から花が溢れる。辺り一体、花に包まれる。
そうして世界は「成った」。

 

「決まりだね」
虹輝がふわりと笑う。手を取り、胸元へ引き寄せると、
「素敵な世界を創ろう」
そう言って、微笑んだ。

 

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