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​濁り滴る

たまに、ほんとうにたまにの事だ。
自己嫌悪に陥った空呂が、半乱狂で喚き散らすのは。
今日は突然だった。
いや、いつもそれは突然で、兆候のみられないものであったが。

「うるさいんだ、皆お前なんか死ねって言う」
「ああ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ···」
「どうしておれはいるんだ、なんのために?誰かが望んだか?おれは望んでなんかなかった」

人は誰しもストレスに許容範囲がある。
大概はその許容範囲を越えないように自らストレス源から離れたり、溜まったストレスを発散して爆発しないようにしている。
だが空呂はそれができない。
溜めて、溜めて、溜めこんで限界となって爆発する事で初めてストレスを自覚するのだ。

「空呂」
呼びかけるが、空呂はうずくまったまましきりにぶつぶつと何事かを呟いている。
未だ空呂は俺に全貌を話してくれないが、過去に色々あったらしいのできっとそれに今も囚われているのだろう。

曰く彼は、捨てられたのだという。
必要なくなったから、ただその明快な理由によって彼は今まで受けてきた庇護を一瞬にして剥ぎ取られ一切触れたことのない外界へ置き去りにされた。
そのせいか、彼は「誰かに必要とされる」ことを最重要としており、必要とされなければ生きていけないというような、そんな強迫観念に囚われている。

「空呂」
再度呼びかける。
空呂は一瞬びくりと震え、ゆっくりとこちらを振り向くと突然叫びながら覆い被さってきた。
こちらの腕を掴む手は震えている。

「三気」
「おれは」
「···本当に」
「本当に、···生きていていいのか?」
どろりと空呂の頭部が溶け出し、重力に従い床に落ちる。

「生き地獄なんだ」
「毎日毎日···おれは本当に役に立っているのかって、存在価値があるのかって、考えて、考えては···怖くなって」
「また···」
「捨てられるんじゃないかって」
腕を掴む手は震えたまま、力がこもる。

「安心しろ」
「言っておくがなあ、お前、俺より誰かの役に立つと思うぞ?」
「それに、毎日俺にうまい飯を作ってくれるじゃないか、俺には勿体ないくらいだと思うし」
実際、空呂の作る飯はうまいし何だってやればできる奴だし、フリーターの俺には釣り合わないほどだ。

「勿体なくなんか···おれのほうが、よっぽど···」
「···ごめん、ありがとう」
「落ち着いた」
そう言うと先程までの取り乱していた姿はどこへやら、いつもの冷静で素直な空呂だ。

「ま、なんだ···溜め込む前に少しは俺に話してくれよな···もちろん、無理にとは言わないが」
「それとも俺じゃ頼りないか?」
冗談めかして悲しげにすると、空呂はそんなことない、と否定する。
そうして一息ついたあと、あのさ、と切り出す。

「おれはさ、きっと一生このままなんだ」
「生き地獄がずっと続くんだと、そう思ってる」
「でも」
「生き地獄も、三気と一緒ならと思ったんだ」
「·········」
「何かごめん、勝手にこんな···」
迷惑だよなと、空呂が言い切る前に
「俺は全然構わない」

俺がそう言うと空呂は少し照れたように、しかしどこか安心した様子で、ならよかった、とだけ言った。
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