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​生命と相違

水耕栽培エリアの廊下を歩く。
廊下には西日の橙色やピンクの色彩が柱に型どられストライプの模様となって射し込んでいる。
こういうのをノスタルジックというのだろう。
あいにく今の自分にはそんな事を感じる余裕すらない。
左手に抱えた、やけに重く感じるケースを見る。
中には光を反射しきらきら輝く石、いや、人工的に造られた「核」が浮かんでいる。
V.T複製計画。
人工的に造り出した核はそのままでは何の意味ももたない。
そこに優秀な知能や戦いの才能をもつ者の記憶をコピーして初めて機能するのだ。
「·········いかれてるな」
小さく吐き捨てるように、あるいは身震いするような嫌悪を紛らわすように言う。
水耕栽培エリアを抜け地下へと入る。
研究施設のエリアはやけに入りくんでおり、一説には実験体が逃げ出した時迷わせるようにできているとか。
本当に、実験体達をラットのようにしか見ていないのだろう。
いつでも研究室へ行けるように、止巻の自室は研究施設の中にある。
どこまでも合理的で、とことん僕には合わないな、と思った。
「···止巻所長」
自動扉の前でできれば口にしたくない彼の名を呼ぶ。
「人工核のプロトを持ってきました、開けてください」
そう言うと音もなく扉が開く。
白い部屋。
初めて立ち入る止巻の自室にはどこまでも生活感がなかった。
少しも布のよれていないベッド、何も乗っていないテーブルに白い椅子。
強いて言えば、今向かっている仕事用の机にいくつか置かれた資料や紙だけが彼の存在を示している。
「·········」
キーボードを打つ音だけが部屋に響く。
何も言い出せずただ立ち尽くしていたその時、ふいにキーボードの音が止まる。
痛いほどの静寂の波が襲う。
ダクトの駆動音や計器の小さな電子音がやけに遠く聞こえる。
「ご苦労」
そうとだけ言うと止巻はモニターの方を向いたまま右手を差し出す。
渡せ、というのだろう。
ああ、もしここでこのケースを床に叩きつけられたなら。
彼の非道について指摘できたなら。
そんな実行することもできない考えが浮いては消え、結局そのまま渡してしまうのであった。
「···あの」
しかし、どうしても気になる事があった。
「何かな」
「どうして、僕に頼んだんですか」
わざわざ部の違う僕に人工核の、しかもプロトを運ばせるなんてこんな事を頼んだ理由がわからなかったのだ。
「君はこの計画に興味があるんだろう?」
「え、」
興味?僕が?
「わざわざ極秘の資料を彼···見溜井に探らせたくらいなのだから、そうなのだろうと思ってね」
「いやあ、あはは···それはその···」
興味?あるわけがない。僕がこの計画について思うところがあればその非人道性についてだけだ。
「まあ···そんなところです」
が、ここは押さえて···色々聞き出すためにそう答えた。
「興味を持つということは何事においても良い事だ」
そう切り出す止巻はキーボードを打つ手を再び動かしだす。
「何故、どうして、という感情で科学は発展してきたのだから」
彼の声とキーボードの音だけがやけに澄んで聞こえる。
「私も常に様々な事に疑問を持っている、例えば···」
キーボードを打つのを止め、止巻がこちらを向く。
「我々V.Tはどこまで進化できるか」
そう言うとペンを持ち白紙の上に何かを書き出す。
「生物というものは絶えず進化を続けている」
魚が進化し陸上生物となる図を書く。
「しかし我々は、結晶から発生しその身体は初めから完成しており代を重ねるということもない」
有精生殖の解説図が書かれる。
「しかし築き上げた技術や知識は引き継がれる」
「私はそれを我々なりの進化だと思っている」
「だが」
「優秀な個体であろうと核は劣化し死は訪れる」
書きこんだ紙を折り畳みゴミ箱へと放る。
「わかるかな」
「同じ個体であるということが重要なんだ、同じ個体ならずっと物事を延長線上で考える事ができる」
分かる。
理屈は分かるのだ。
だがそのためにコピーを造るなどという事は、本能が理解を拒んでいる。
「ええと、その···分かる、といえば分かるのですが···」
「何か質問があるのなら答えるよ」
分からない。彼の考えている事が。
「···人道的に、あー···拒む人が多い、と···思います···」
やっと絞り出した言葉。
「ふむ、そうか···なるほど。どうやら君は、我々V.Tを生命体と同じように見ているようだ」
「は?」
それは正しく伝わることはなかった。
「よく考えてみてくれ、いくつかの臓器が連動し生きているものを生命体とするならV.Tはその枠から外れているのだよ」
「結晶の核、ただ食物を栄養とし吸収する頭部、ゴムのような身体の中には臓器など無く核を保護する骨格と液体が満ちている」
「身体が損傷しても核さえ無事ならいくらでも再生する」
「生殖によって増えず核のエネルギーを使いきれば塵と消える」
「それを、君は」
「生命と呼ぶのかい」
目眩がした。
「···じゃあ、生命なら扱いを変えるっていうんですか」
「ああ、もちろん。あれらは非常に脆い。使用する時はV.Tよりも丁重に扱わねばならない」
使用。
その言葉に視界が歪むような感覚を覚えた。
彼にとってはどちらも、何もかも、実験の対象でしかないのだ。
「ああ···もうそろそろ寮の消灯時間だね、長々と付き合わせてしまった」
「あ···いえ、大丈夫です」
「それでは」
「ええ···それでは」
こちらからモニターへと体制を変えると、再びキーボードを打つ音だけが響きだす。
萩入間は静かに部屋を出、閉じた扉の前でその場に座り込んだ。
無力感。
自分ではあの人、いや、例えるならば。
「···化け物だ」
あれを、止められるわけがない。
ふらふらと、萩入間は来た道を戻る。
水耕栽培エリアは既に夜間電源に切り替わっており淡い緑の光が廊下を照らしている。
こういう時、どうすればいいか僕はわかっている。
傍観者に徹すればいいのだ。
そうすればあの化け物と正面から向き合う事も、危険にさらされる事もない。
だというのに。
「見溜井」
電子パッドを取り出し見溜井を呼び出す。
「ふああ···何?もう消灯時間だよ」
「このリストに載ってる人の住所、調べておいて」
「え?今から?」
「いや···明日からでもいい、疲れた、寝たい···」
「だ、大丈夫?お疲れ様、じゃ、任せといて!」
通信画面が切れ、リストが表示される。
「···何やってるんだろうなあ、僕···」
壁にもたれ、自嘲気味に笑う。
V.T複製計画の被験予定者リスト。
彼らは軍の者ではない。
止巻は彼らをうまく丸め込んで被験者にするのだろう。
リストを流し見ている時、目に止まったのは数年前、軍を抜け出したという兵士。
「明日無···」
戦闘力、反射神経、運動能力、全てにおいて完璧なステータスを持ち、なおかつ軍に良いイメージを持っていない彼なら。
あの化け物に、抗えるのかもしれない。
「·········頼むよ」
月の光の下、祈るように萩入間は手を握りしめた。
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